2008年02月12日

タイミング

積み重ねよりこれを信じる。

すべての成り行きのきっかけは、ひとつの点にしか過ぎない。それが悪性と判断されない限り、良くも悪しきも、積み重ねはそこから自然に始まる。良性か悪性の区別は、陰湿な詮索体質にひっかからない限り、もたもたせず判断ぐらいは誰でもつく。その後長く続くか、すぐに終わるかは結果論。

自分に、すぐに物事をケナす癖があったり、差別発言が平気な体質があればべつ。

別ページの「たった一通の葉書・・・」これがきっかけで知り合ったのがもう一人いた。宇○田ヒカルの「イン・マイ・ルーム」のアレンジを手がけたシン○山氏。
同じく雑誌の片隅で知り合い、渋谷の喫茶店で会った。

その後、彼が平井○、嶋野○恵その他、多数のアーティストのコンポーザーを経て、プロデュース業もやり、やがては自身もアーティストデビューしたり。

僕との間には紆余曲折があり、関わらなくはなったが、その後の彼の活躍のきっかけは明らかに、たった一通の葉書でまず人と会ったからに他ならない。そこからどう人と関わるか、どう他の出会いを拡げていくか知恵も付き、それを自然に積み重ねていった。頭だけでは知恵は付かない。踏み台もときにはよかれ。才能は認めざるを得ない。

人を信じることから入るのが当たり前だった。やはり時代は人の頭を打つのか、今は便利になった分、様子うかがいをしてしまう。考えあぐねてるうちに、やがておのずと否定方向に導びいてしまったり。アクシデントも怖いし、石橋を叩いて渡ったほうが安全だ、世の中、通学路を歩いているだけで車のほうから突っ込む惨事や、夜道を一人歩いているだけでナイフで刺されたり・・。

しかしそんなこと予定して歩く人などいるか、また、交通事故に合ったからといって、植○人間になって動けなくなればべつだが、二度と外出しない人なんていない。行動は生き物の本能であるから。


理想を求め、身のほど知らずで物事を品定めしている間に、けっきょく何とも出会えず、人との社交的なスキンシップさえ汚らわしく感じるようにさえなってしまう人が多いという。

人は本来、人と直接言葉を交わし、そばで呼吸を感じるために生まれて来た。また、そこにこそ本当の喜びがある。そう考えると、時代の偶然の産物にしか過ぎない活字コンタクトは永遠に空回りと言えるか・・。きっといくつかは、実際に知り合ったほうがよかったはずの対象でさえ、気づかずに葬ってきたに違いない・・。あ、好みのタイプの異性を探すことだけに躍起になっていたら、これは話にならない。老若男女それぞれ友好でありたいものだ。孤独壁の自分が何を・・

街のBARで一瞬すれ違っただけなのに一生の友を得ることもある。また、この人ならと思って知り合い、何年も愛を暖めてきたのに離婚するカップルもいる。何が正しいなんて言えない。

積み重ねより、タイミングを信じる。







at 21:38|Permalink日記