2007年12月22日

あーゆーひっきー?

今は詞を書くシンガー(歌手)も多い。でも自身の音像や、コード感を操って活動するのがアーティスト。この定義は間違いではないだろう。

自分の音楽を持っているのに、シンガーというひと言で括られるのを不快に思うアーティストもいる。気持ちはわかる。

こういうことは、一般的には伝わらないのは無理もない、どんな経緯で楽曲が世に出ようと、メディアからこぼれてくる歌や声やビジュアルをダイレクトに楽しめれば正解なのだから。

大手プロダクションが抱えるような新人を探す腕があるということで、新人発掘のスペシャリストのように大げさにとらえられたのか、正式に発掘してくれないかという声をかけられたりした。

雑誌でオーディション告知等もした。ワンコーラスずつ歌わせてどんどん排除するような、やっつけオーディションみたいなことはできない。2曲ずつ歌ってもらい、ポリシーを聴いたり、至らない部分や今後の活動を丁寧にアドバイスする時間も設けたので、1人につき30分は所要した。どこかに本物はいないか、せめてブローキング(デタラメ英語)で作曲できるようなアーティストを望んでいたので、そこらのオーディションよりハードルは高い。期待はあったが、いなくても当然と思いながら。

このブローキング作曲法、プロのアーティストの世界では主流のテクだったりする。久保田利伸、吉田美和、宇多田ヒカル、馬渡松子その他多数(馬渡松子はコード先行の手法と両刀使いだったが)・・・。
クオリティが高い印象を持つアーティストというのは一様にして、国内の音楽から入り栄養とすることはまずしない。フェイヴァリットやリスペクトはまず洋楽の中にある。芸能界歌謡界では少ないだろうが、アーティスティックなセクションやレコーディングスタジオでは、雑談でも「UKの誰々の、」等が随時話題に出てくる。しかも超メジャーではなく、深い部分。
洋楽を聴く耳を持たないことには話にならないし、ついていけないのだ。あんた何聴いてきたんだと、心の中でバカにされる可能性も十分。

応募してくる女性の大半が、宇多田ヒカルの歌を唄う時期があった。まさに大ブレークのときだったから。みんなそれなりに唄える、キレイに、宇多田ヒカルそっくりにも。その他専門学校に通ったり、自称本気の者が多数。

1人1人ポリシーを聴いてみる。
目を輝かせながら「はい!宇多田ヒカルみたいなアーティストになります!」
当然のごとく洋楽アーティストを挙げる子は1人もいない・・。

そしてさらに聴いてみる。
「じゃ宇多田ヒカルのように、自分で作曲作詞するんですね?」

うなづくのは1人もいなかった。











at 17:59|Permalink日記