2017年09月02日

ハコから脱出~五木ひろしさんの心意気~


街のバンドやシンガーが「ハコでやってるのか」と、
バカにされた時代がありました。
所謂「箱」、 アルコール可の、規模の小さな店で、
その日の稼ぎを紡ぎながら、売れるのを夢見て。
しかし少しでもやっている限りは、
何か言葉に出来ないフラットなバランスが執れてしまうのか、
なかなか際立って上にはいけずの年月。
そんな処からの揶揄だったような気がします。

僕も大阪や神戸の、昔でいうカフェバーのような場所やラウンジで、
ギター弾き語りで歌ったり、宝塚のスナックで演歌の伴奏をしたり、
日銭を稼いでいた時期がありました。
その時は、お金をもらえるだけでも嬉しくて、
将来への展開など考える頭もないまま、
これでも満足、今出来る事を続けていれば着実に一歩ずつ、
などととタカをくくっていました。
しかし僕も言われたことがあります。
当然、ピンとこなかったですけどね。。。


そんな時に知った五木ひろしさんのエピソード。
ご存知、TVの全日本歌謡選手権で優勝して、
「よこはまたそがれ」で、夜ヒットその他の地上波にも出演するようになる。
それまではスナックでギターを弾きながら、演歌を歌っていたそうです。
これも「箱」ですね。

その時は、月の稼ぎが50万あったそうですから、
今の時代から換算するとかなりの額です。
しかし、メジャーレコードのデビューが決まってからは、
ハコから歌を届けるポリシーはきっぱり切り捨て、
月給五万円、それでもいいからと、
メジャーの世界に魂で飛び込んだそうです。


それからの活躍は周知の事実。
メディアはTVのゴールデンやラジオのキー局。
客の前で歌う時は客席が並んだホールのステージ上のみ。

一般ユーザーやファンとの距離が出来る事により、
別格のスター性も生まれ、強烈にファンも拡大、
歌も常にベストテン入りと、ますます売れていきました。
月50万なども、爪の先ほどの思い出になったことでしょう。


ご本人の心意気は勿論、値打ち付けする為に、
目先の事よりと、雲を掴むような難しい世界の中、
出る場所を絞り選んでいく采配や、
かしこい計算もあったのかも知れません。

五木ひろしさん1人のケースではなかったと思います。
歌謡曲隆盛の時代の歌手の方々の、
命がけのような歌への取り組みは凄いですね。







leefree at 12:00|PermalinkComments(0)